個人用知的移動体における追体験支援システム
概要
個人用知的移動体AT (Attentive Townvehicle)は、搭乗者である人間や、 自分を取り巻く環境に適応し、個体間通信によって協調的に動作可能な個人用の乗り物である。ATは、搭乗者である人間、情報的・物理的環境、他のATという3つの要素間において、さまざまなインタラクションを行うことができる。本論文では、その中で特に移動体間におけるインタラクションに注目する。ATにおける移動体間通信にはアドホックネットワークが採用されており、特別なインフラを必要とせず、動的なネットワーク構成に対応することができる。本論文では、ATと搭乗者を含めた、搭乗者間コミュニケーションの応用例としてAT上に個人の体験を記録し、実世界での行動を支援する、追体験支援システムを構築した。
1 はじめに
「いつでも、どこでも、誰でも」情報ネットワークに接続することができるユビキタスネットワーク社会では、情報端末が常に人の近くに存在する必要がある。その実現方法の一つとして、日常的な個人用の移動体そのものを情報端末とするやり方が考えられる。そのような移動体の一つとして、われわれはAT (Attentive Townvehicle)と呼ばれる、情報化された個人用移動体を開発している。
ATが搭乗型情報マシンであることの利点は、移動に付随した環境の変化に応じて、暗黙的に情報処理を行うことができる点である。これにより、搭乗者である人間は、特に意識することなく、実世界状況や文脈に合わせて、その時点で最適な情報サービスを受けることができる。さらに、もう一つの利点は、AT間の通信による情報交換が可能な点である。相互にコミュニケーションをとることによって、「個」から「コミュニティ」へ変化させ、情報に新たな価値を見出すことができるのではないだろうか。
そこで我々は、ATをコミュニケーションツールとして捉え、AT搭乗者間コミュニケーションシステムとして、実世界状況に依存した情報を利用して体験記録を作成し、共有・再利用するシステムの構築を目指している。
体験記録の利用や共有に関する研究として、時空間コラージュは、体験キャプチャシステムを利用して、イベント空間にいる参加者の視線からの映像により、追体験メディアとしての3次元仮想空間を構築する方法である。また、GPSと写真を利用して日々の生活を記録し、マップ上で関心の近いユーザと共有することによって、コミュニケーションを行う仕組みである、Living mapでは、体験記録を閲覧する際に、行動記録から、その移動方向の変化にあわせて、写真の表示方法に効果を加えることで、追体験を実現している。
他者の体験記録を閲覧することは、未経験の事象に対する情報を獲得するのに効果的な方法である。これを、仮想的な体験として捉え、追体験と呼ぶことができると考えられる。しかし本研究では、体験記録を利用した、人間の実世界での行動を「追体験」と定義している。これは、人間の体験が実世界において行われる場合、体験記録を閲覧するだけでなく、それを利用して実際に行動することを「追体験」と呼ぶべきであると考えたためである。したがって、本研究での追体験支援には、行動に対するアドバイスや示唆のほかに、位置や方向といった動作に関する支援が含まれる。
本システムでは、体験記録を作成する際に、追体験することを想定して、実世界状況に関する依存関係や、効果的な追体験のための条件を付加する。これには、その体験が行われた時刻や季節、搭乗者プロファイル、文脈情報などが含まれる。このようにして加工された体験記録を追体験コンテンツを呼び、これを用いて実世界での行動を支援する本システムを、追体験支援システムと呼ぶ。
2 個人用知的移動体AT
2.1 ATのコンセプト
ATは物理世界と情報世界を連携するためのプラットフォームとして開発されている。ATに乗り込み、人間と情報端末が一体となることによって、特に意識することなく情報世界にアクセスすることができる。我々はこれを、搭乗型(マウンタブル)コンピューティングと呼んでいる。
図に示すように、ATは自身に搭載されたセンサ類や、アドホックネットワークを利用した通信を行うことによって、搭乗者である人間、環境、他のATという要素間でのインタラクションを実現している。ここでいうところの環境とは、物理的環境(実世界)と情報的環境(情報世界)の2つの意味を持っている。これらのインタラクションを通して獲得された情報を利用して、搭乗者である人間や環境への適応を可能としている。
2.2 システム構成
図にATの概観と、デバイス構成を示す。ATの駆動系には電動車椅子用のモーターと車輪が利用されており、車体はアルミ材で構成されている。ATの制御には、モーター制御用PC、走行モード制御及びネットワーク制御用PC、コンソール用PCの3台のPCを用いている。また、ATは足で操作するようになっているため、ペダルの裏には傾斜センサが左右1つずつつけられ、ペダルの角度データを、車体後部に設置されている制御用PCに送っている。さらに、進行方向や道の勾配を計測するための3軸角度センサも車体に取り付けられている。
物理的環境の認識手段として利用されるセンサとしては、超音波センサ、PSD測距センサ、RFIDタグリーダなどが搭載されている。これらのセンサを用いて、移動に付随して暗黙的に情報を獲得することができる。また、情報端末自身が移動するための機能を持つため、これらの機器を持つことによる人間の行動に対する負荷を軽減している。さらには、獲得された情報から実世界の状況を考慮し、物理的な行動に反映させることで人間の行動を支援することが可能となっている。
2.3 アドホックネットワークを用いた通信
ATにおける通信にはアドホックネットワークが採用されており、モバイルエージェントシステムをベースとしたミドルウェアである、cogma (COoperative Gadgets for Mobile Appliances) を利用している。cogmaにおいては、Codgetと呼ばれるモバイルエージェントが、CogManagerと呼ばれるエージェントシステム間を移動することによって通信が行われる。これにより、動的なネットワーク構成に対応し、相互通信を行うための環境を容易に構築している。
3 ATによる体験の記録
3.1 カメラ画像を用いた体験の記録
AT上で体験を記録する方法の一つとして、カメラ画像を用いた方法について述べる。これは、取得された画像に対して、搭乗者の感想を体験要素として関連付けるもので、搭乗者が任意のタイミングで記録を作成することができる。
感想のような体験要素は、場所や時刻、体験する人、その時の環境など、実世界状況に依存して変化する可能性がある。そこで、センサ情報などを同時に記録し、その体験に関して重要とされる環境情報を獲得する。これには、GPSによる位置情報、時刻、アドホック通信を用いて取得される周囲の端末やATの状態、搭乗者情報などがあげられる。
3.2 目的地を持つ体験の記録
商店や飲食店が配信する宣伝のための情報や、建造物などの観光スポットに関する説明が記述された情報が、アドホックネットワーク上で配信されている環境を想定する。その際に、情報配信元を目的地として設定してから、到着後に目的の行動がなされるまでの、一連の流れを体験として記録する方法について述べる。
図のように、コンソールには環境端末と他のATが表示されており、獲得した情報をメニューから選択し閲覧することができる。環境端末からの情報に関しては、配信元のサーバとインタラクションを行うことで、さらに詳細な情報を獲得することができる。搭乗者はこれらの情報を閲覧し、体験要素として目的地を決定する。この時点から、移動履歴や情報アクセス履歴などが、文脈情報として記録される。
目的地に到着後、行動が終了したら、それに対する評価を行うことによって、ユーザの意見を体験記録に加えることとした。評価項目は、最初に獲得した情報の配信元が定義することを想定している。 例えば飲食店なら、「味」、「値段」、「その他のコメント」、などが考えられる。
4 追体験支援システム
4.1 追体験コンテンツ
実世界で行われる体験は、実世界状況と体験する人間に依存して、結果が変化すると考えられる。追体験の際に重要なことは、同じ結果を得ることではなく、文脈や状況について考慮することである。これにより、他人の視点を参考にして、新たな視点を発見したり、興味の誘発に繋がると考えられる。
そこで、体験記録に対して、実世界状況に対する依存関係や、効果的な追体験のための条件を設定することによって、追体験コンテンツを作成する。これらの条件は、体験記録に記述された位置情報などの環境情報や、時刻に関する情報、あるいは搭乗者情報などから選択される。これにより、体験記録を実世界へ関連付け、実世界状況や文脈を考慮した追体験が可能となる。
図のように、追体験コンテンツはXML形式で記述されている。周囲の状況は、サーバやATからの情報獲得をトリガとして、actionタグにfind属性として記述され、サーバへのアクセスや、他のATとのやり取りは、それぞれaccess属性、comm属性として記述される。行動の評価と、実世界への関連付けはそれぞれ、evaluationタグ、relationタグを用いて記述される。
4.2 追体験コンテンツの獲得、閲覧
他者が作成した追体験コンテンツを利用するには、共有するための方法が必要である。想定される方法としては、サーバを介した方法と、AT間で直接やり取りする方法が考えられる。
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サーバを介した共有
これは、ATから情報配信サーバに追体験コンテンツをし、万人が閲覧できる形で共有する方法である。このようなサーバは、お店や、観光地における案内所への設置が想定される。この場合、ATはグローバルネットワークを利用して、あらかじめ追体験コンテンツをダウンロードすることによって、追体験を実現することができる。観光地など、旅先で利用する場合には、ATをレンタルして利用することを想定しており、自身のプロファイルを利用することによって、普段と変わらない操作感を実現することが可能である。
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AT間通信による共有
AT間通信を利用することによって、近くにいるATに対して推薦する形で、追体験コンテンツを共有することができる。追体験コンテンツは個人情報を含むものなので、不特定多数の人間に対して配信する場合は、情報開示の割合を指定する必要があると考えられる。また、このようにして追体験コンテンツが獲得された場合、プロファイルを参考にすることによって、搭乗者の興味に合わせて、提示するか否かを判定することができる。
このようにして獲得された追体験コンテンツは、図のように、AT上で閲覧することができる。追体験コンテンツには、体験記録を作成した際、あるいは目的地の位置情報が記録されているため、これに基づいて、対象と自身の相対的な位置関係を表示する。また、搭乗者によって付加された情報や、目的地となった端末から獲得した情報も同時に表示される。図は、目的地が存在する追体験コンテンツを閲覧している状態であり、画像とコメントが表示されている。
4.3 実世界状況を考慮した行動支援
本研究で目指す追体験は、体験記録を閲覧するだけではなく、実世界状況を考慮して、実際の行動を支援するものである。具体的には、実際に追体験している際に、実世界状況に合わせた情報提示と、制御に関する支援を行う。もちろん、追体験コンテンツに記述された情報は、任意のタイミングで閲覧することが可能である。
まず追体験時には、追体験コンテンツに記述されている対象の位置情報に基づいて、移動するべき方向と残りの距離を提示する。これは、移動に伴って随時更新される。移動中には、文脈情報の再現として、目的地に到着するまでに行われた情報アクセス履歴を再現したり、周囲にいた他のATに関する情報を閲覧することも可能である。これらは、追体験コンテンツに記述された、提示のための条件となる、実世界状況を考慮して、適切なタイミングで搭乗者に対して提示される。
目的地に到着すると、アドバイスとして、目的地でなされた行動に対する評価を提示する。またその際に、必要であれば、ATの向きやカメラ方向などの物理的な状態を再現させる。これにより、過去(あるいは他者)の体験時の状況にできるだけ近い形での追体験が可能となる。
5 追体験コンテンツの編集・統合
ここでは、作成された追体験コンテンツを、体験後に加工するための仕組みについて述べる。ユーザは、図に示すインタフェースから、追体験コンテンツを編集したり、複数の追体験コンテンツを統合することが可能である。
左上のフレームには、現在保持している追体験コンテンツのリストが表示されている。左下のフレームには、選択された追体験コンテンツ同士の、位置関係が表示される。右のフレームでは、追体験コンテンツの編集作業や、統合する際の順序の入れ替えが可能となっている。編集・統合する際の操作方法について、以下で述べる。
5.1 追体験コンテンツの編集
AT上で作成される体験記録には、環境から自動的に取得する情報と、搭乗者が入力する情報が含まれるが、行動そのものを妨げないようにするため、入力しなければならない情報を制限している。現状では、追体験への利用に限らず、自身が後に閲覧する場面でも情報量が少ないと考えられる。そこで、追体験コンテンツを後から編集するための仕組みが必要である。
追体験コンテンツには、主に各種センサ情報や通信可能域内のサーバ、ATの状態のような、そのときの実世界状況を表す情報と、コメントのように搭乗者の主観によって付加された情報が記述されている。ここで編集可能な要素は後者であり、具体的には以下の通りである。
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カメラ画像に対する印象
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行動に対する評価
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各種コメント
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実世界状況への依存関係(追体験の際に利用)
編集する際は、図の左上のフレームから、編集対象となる追体験コンテンツを選択する。選択された追体験コンテンツは、右側のフレームに表示され、2については、リストから評価値を選択する形で、コメントなどのテキスト情報は、テキストエリアから編集することができる。1,4はそれぞれ印象情報、依存関係の編集ボタンをクリックすることで、別ウィドウから編集を行う。編集が完了したら、更新ボタンを押して、追体験コンテンツを更新する。
5.2 追体験コンテンツの統合
サーバ上などに追体験コンテンツが複数存在する場合、その中から追体験したい部分だけを抜き出し、組み合わせることによって、より個人に特化した形での追体験が可能となる。また、体験を取捨選択することによって、より効率的な追体験が可能となる。
追体験コンテンツを統合する場合は、図の左上部のフレームから、複数の追体験コンテンツを選択する。選択された追体験コンテンツは、順に右側のフレームに表示されていき、矢印ボタンを押すことで、順番を変更できる。最下部にある、作成ボタンを押すことで、それらを一つの追体験コンテンツとして保存することができる。
追体験コンテンツを統合する際に注意しなければならないのは、基となる追体験コンテンツそれぞれの実世界への依存関係である。特に、位置情報に関する依存関係を考慮すると、離れすぎているものを組み合わても、実際に体験することが困難である。これを解決するため、位置情報に関しては、図の左下フレームのように、統合した際に先頭にくる追体験コンテンツに記述された位置情報を中心として、それ以外のものを視覚的に確認できるようなインタフェースとした。
6 まとめと今後の課題
本論文では、個人用知的移動体AT上に、AT搭乗者間コミュニケーションシステムとして、追体験支援システムを構築した。本システムは、ATに乗り込んでなされた行動を体験として記録し、それを用いて実世界における行動支援を実現するものである。また、追体験コンテンツを編集・統合するためのインタフェースを提供することによって、より効率的な追体験を実現することができる。
今後の課題として、以下のものがあげられる。
6.1 追体験コンテンツの高度な検索
サーバ上に蓄積された追体験コンテンツの中から、自分に合った追体験コンテンツを検索するための仕組みが必要である。追体験コンテンツを検索する際は、特定の目的地に対して評価の高い物を検索したり、自分と同じ趣味もっていたり、年齢層が近いユーザを検索することが考えられる。
ユーザをベースとして検索した場合、自分と似たような考えを持つ人が作成した追体験コンテンツであれば、共感できる可能性が高いと考えられる。あるいは、異なる価値観を持った人が作成した追体験コンテンツを利用すれば、新たな興味や視点を発見できるかもしれない。
このように追体験コンテンツの検索には、複雑な要求が想定できるので、柔軟に対応できる仕組みが必要であると考えられる。
6.2 追体験コンテンツの集約・推薦
追体験コンテンツの編集・統合や検索といった操作は、ユーザが行うものであるが、サーバ側で行われる処理として、蓄積された追体験コンテンツの集約があげられる。これには、搭乗者プロファイルに合わせた集約や、ユーザ評価を利用した集約が考えられる。これにより、追体験コンテンツの氾濫を防ぎ、効率良く検索、閲覧することができる。
また、自身のプロファイルをサーバに送信することによって、追体験コンテンツの推薦を受けることができる。これにより、検索する手間を省き、意識することなく、そのユーザに適した追体験コンテンツの閲覧、獲得が可能となる。
6.3 グループの体験記録と追体験支援
ツーリングのようにグループで行動を共にする場面では、仲間同士でやり取りをしながら、移動そのものを楽しむことができる。このやり取りには、行動計画についての議論や、感想や意見の交換などが想定され、追体験の際に有用となる情報が多く存在すると考えられる。これらの情報を有効に利用するために、グループの体験記録と追体験支援の方法が必要である。